2010年01月01日

起業物語

私は、約13年前に「夢ふぉと」をたった1人で机ひとつ・電話一本を間借りして始めました。起業のきっかけは、元々いつか自分で独立したかったのと、「こんなサービス・商品が世の中にあったらきっと人に喜んでいただけるだろうなっ。」という単純な想いからでした。

祖父母との写真

そう思った元々のきっかけは、私の大好きだった明治生まれの祖母の思い出を1冊のアルバム本にして残せれば子や孫に祖母の事を伝え残す事が出来るから良いのになーっ・・・と思ったからでした。私の祖母は、勿論、有名人でも著名人でもないただの普通の田舎のおばあさんでしたから、亡くなった後に形として残るものは何一つありません。

私の心の中にある思い出を伝えるすべは仮に私が死んでしまったら、何も無くなってしまうのです。そう思うと「なんとか出来ないだろうか?」と思い始め、「出来るところが無いなら自分で作ろう!」と思い起業したのです。

有名人では無い、一般の方々の人生にスポットライトを当ててカタチニして伝え残すお手伝いが出来れば、私と同じ様にそれを望む人が全国には沢山居てきっと喜んでいただけるに違いないと思ったのです。

それまでに写真や出版やアルバムの仕事に携わったことは勿論ありませんでした・・・。

そして意気揚々と起業したまでは良かったのですが、最初は食べていけなかったですね。OL時代には人生をある意味ナメていたなと思うくらい・・・起業してからの最初の2〜3年は、ある意味一番苦しい時期でした。24時間365日体制で働けど働けど・・・赤字は続くしなかなか軌道に乗りませんでした。マスコミに取材をしていただき何とか注文が来てもたった1冊のオリジナルアルバムを売っても粗利が5000円程度。経費を引いたら完全に赤字です。そんな中でも何時もお客様の満足度だけは高く、涙流して喜んでいただけるのですが、次にリピートとして注文が来るのは仮にあったとしても2,3年後に「ペットのアルバムが良かったから今度は家族の50年史を作ってほしい。」みたいな注文がありますが、1冊を売っていても小さな事務所を維持するだけで厳しかったです。何せ、5万の給料が出せない、3万の広告が出せませんでしたから・・・。その頃は自転車で自分1人で飛び込み営業でも何でもしましたが一向に売り上げが上がらず・・・アルバイトで食い繋いだ事もあり・・・瀕して疲れてしまい、何度も何度も「もう辞めてしまおうかな・・・?」と思いました。

でも、そんな時に何時も何度も助けられたのが、あるお客さまから掛けていただいたのたった一つの言葉でした。

「このお仕事、ずっと続けていてくださいね。」

当時、この言葉を掛けてくださったのは、7歳の女の子を亡くされたお母さんでした。納品の際にご両親が当時の小さな事務所まで取りにきてくださり、涙を流して喜んでくださりそして帰り際にドアのところで振りむいて私に向かってこうおっしゃってくださったのです。私は今も鮮明にその時の光景を覚えていて、その時に私は決意しました。「決して辞めないぞ。」と。たとえ会社が立ち行かなくなって、自宅で1人でコツコツと続けていくことになったとしても、「夢ふぉと」の思い出づくりの商品を望んでくださる方がたった一人でもこの世の中に居てくださる限り、私は絶対に諦めないと腹をくくれた瞬間でした。

だから、このお母さんには今でもずっと感謝しています。

その後、何とかして「たった1冊、あなたの思い出写真集を作ります。」というのを多くの人に宣伝したくて、広告を出したいけれどお金が無かったので知恵を絞って「マスコミ電話帳」なるものを買ってきて片っ端から広告を出してほしい媒体にお手紙を出しまくりました。すると、最初に「日経流通新聞」に掲載が決まり、その後は芋づる式にほとんど全ての大手の新聞・テレビの情報番組で取り上げてもらえました。そんな中、新聞の記事を見て学校の教材メーカー(東大阪のサンワさん)の社長さんが、夢ふぉとに営業マンをよこして来られ、学校アルバムの制作のきっかけを下さいました。

林さゆり

「今、過疎化と少子化が進み、卒業アルバムが(少部数だと高くなりすぎて)持てない小学生が増えてきています。あなたのところは1冊でもオリジナルで作れるノウハウがあるのなら何とか協力してもらえないだろうか?」というご依頼でした。

当時の私は、もちろん「こんなに良いお話であれば、是非協力させてください。」と直ぐにお願いしました。

そして卒業・卒園アルバムという商材に巡り合え、いわゆる「ようやく食べていける」ようになれたのです。それは、個人の思い出アルバムとの決定的な違いがあったからです。卒業アルバムは、リピート性があり、必要なものであり、尚且つ納期が決まっている、、、という3拍子揃った商材だった訳です。そして、個人アルバムの時にインターネットで全国展開が可能なように最初から全国展開型のビジネスモデルで「制作キット」なるものを作っていたので、それをそのまま「卒業アルバム」にも当てはめました。後はネットマーケティングを徹底的に勉強しながら当時のYahooやGooglでの検索エンジンでトップに出てくるようにホームページを作りました。最初のホームページは、お金が無かったので外注で一番安い人に作ってもらいました。

当時は未だ「卒業アルバムは近所の写真屋さん」というのが世の常でしたから・・・卒業アルバムのネット販売はとてもニッチな市場だったと思います。リスティング広告の枠には長い間うち1社のみの時代があったほどニッチ市場でした。

だから、その後は売り上げが以前のように必死で営業しなくても面白いように倍々で伸びていきました。そうしてようやくまともに食べていけるようになり、その後は右肩上がりで成長をしていけるようになれました。

それは毎年夢ふぉとのファンを増やし続けてこれたからだと思います。
大手とは違うスタッフの「親身な対応、温度のあるものづくりの追求」を忘れずに続けて来れたからだと思います。

これからは「思い出づくり」のビジネスをハードもソフトも含め、新規ビジネスとして次々と立ち上げ、夢ふぉとを「思い出づくりの世界ブランド」にまで成長させていくのが夢ふぉとの現在の夢です。

posted by sayuri at 00:00| Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
突然のお便りですいません。
現在、ミナミで整体院をして11年になります。たまたま、うちのかみさんからそろそろ就職を考えたらと言われ、(1人でやっておりまして、収入も頭打ちで、子供が3人(9歳、4歳1歳といるので)何気なく見ていたんです。
そのときに、偶然にもこちらのHPにたどり着きまして、社長の話や絵本(動画)、アルバムのことをみていて、すごく面白くて、興味を持ちまして一言だけでもお礼の返事をしなくてはと思い、こちらを書かせていただきました。

なにかと、写真やビデオを撮る機会(運動会や発表会など)がやはり今はおおくて、そのたびに「もうちょっとうまく撮れないのかなー?」と感じていまして、何気なく関心はあったんだと思います。なので、夢フォトさんのやってはる仕事っていいなーと思いました。

自分の仕事もお客様の様々な体や心の悩みを解消してあげて、快適な生活を送っていただけることを目的にしていますので、形は違いはしますが、相手の心に響く仕事ではちょっと似ているかなーと一人勝手に思ったりしてました。

長々とあんまり内容の無いメールですいませんでした。
Posted by 東 隆宏 at 2011年01月28日 15:11
東様

コメント頂き、ありがとうございました。
子供さんの思い出って本当に「宝物」ですよね。お金に代える事の出来ない素晴らしい心の中の宝物になりますよね。
私も実は肩こりが結構慢性的な持病の一つですので、時々心斎橋の整骨院さんに通っています。又機会がありましたらよらせていただきたいです。取り急ぎお礼まで
ありがとうございました。
Posted by 林 さゆり at 2011年01月28日 16:36
お忙しい中、お返事頂きありがとうございます。
 
現在友人も含めて、この業界はすごく厳しい状況になっており、価格破壊や整骨院においては保険料の点数削減で経営難が多いみたいです。おかげさまで、なんとかうちはやれてはいますが、それでも家計的には苦しいみたいです(家内談)

家内曰く、「そろそろ就職したら?」というぐらいですから、なんとかいい手はないかと、思案中です。
Posted by 東 隆宏 at 2011年02月09日 14:12
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